第三 同客方の事  便蒙三 六左

一、風炉にて、御茶申すべしとある時は、其の時節不相応なり共、足袋をはかずして参るべし。風炉は、初めに書きたるごとく、世間暖気にて釜を、主、あくるなれば、亭主の意に応ずる心なり。さりながら、病身の人、老人は、夏たり共、勝手次第たるべき事なり。風炉共知らず参りたる時は、廬地に入り、雪隠の戸あけ置きたらば、風炉の茶の湯と心得て、腰懸にて足袋をぬぎ、入るべし。夏は、篭りたる所には、虫蚊等多し。故に、暑中は、戸をひらき置くなり。

昔の茶の湯は、風炉の茶であれば足袋を脱いで茶室に入っていたようで、風炉の茶の誘いがあった場合は
足袋を履かずに廬地入りした。今では考え難いが、それが亭主の意に応じる事になるという。
ただ、病人や老人はその意に関わらず足袋を履いて構わず、また、風炉の茶であるかどうかは雪隠の戸の開け閉めを合図としていたようである。
なんとも合理的というか、生活感漂うというか、それに反し現在は日常生活から懸け離れた茶の湯をしているものだと気付く。
日常に茶があるというのは、こういう事を指すのか。当時の茶の湯にタイムスリップしてみたいものである。

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