一、灰土鍋の灰、前に記すごとく、杉形に沢山に入るべし。灰少きは初心に見えて当流に嫌う。宗旦、茶事致されし時、勝手へ来り合いたる人の咄しに、此の間、外へ茶事に参りたるに、土鍋の灰、余り入れよう多くて見苦しといいけるに、折節、宗旦、炭に出ずる前にてぞありける。其の人の見ぬように身をかげにして、又、土鍋灰を二杓子ばかり入れ足し出でたる由、宗旦の意気、当流の茶の湯、人に合わせてせざる事、是にて考うべし。土鍋に図有り。炉は大ぶり、風炉は小ぶりなり。又、南蛮もの、瓶のふたなど好み用ゆ。炉の灰酌子、大小有り。図、別に記す。
現在は、宗旦文書などにより宗旦の人柄についてはある程度一般に知れ渡っているが、少し前までは謎の多い人物として捉えられていた。
陸安集には宗旦文書などと共通した宗旦像が描かれ、しかもより生々しく著されている事を考え合わせると秘伝書と云われていたのがわかるような気がする。
宗旦の「人に合わせてせざる事」を当流の茶の湯としている事も面白いが、なにより流祖宗徧が極めた宗旦直伝の茶の湯を忠実に流儀の茶の湯として伝えている事が嬉しい。
細川三斎と古田織部、形と精神、どちらが利休の茶の湯の正統を継いだのか意見が分かれるところだと思うが、利休を基準とした場合、利休から直接茶の湯を学んでいない宗旦の茶の湯を評価する人は少ない。
しかし、現在の千家の茶の湯が宗旦の茶の湯から離れて久しい事を考えれば、当流の価値は自ずとはっきりとして来る。
茶道の源流六流に数え上げられていた所以であろう。
