第五 座入りして作法の事 便蒙二 四左 その八

一、主、功者の師家たらば、釜御かけ候事、御ひかえ下され候へ、とくと拝見いたし度と、達て望む。亭主、勝手口へ退くべし。其の時は、一人ずつ、茶堂前へ行きて、得と直り、順々に見るべし。又、隅炉などにて、炭斗の上に及びて見る時は、主の善悪に構わず、釜ひかえし後と云いて、此の如く一人ずつ、寄りて見るべし。炭見様おそき時は、亭主、構わず釜をかくるなれば、正客、よくよく作前気を付くべし。

前回の項目の内容にも現在の作法とは幾らか異なる箇所が見受けられるが、この箇所も異なる部分である。時代とともに変遷した結果であろうが、功者の師家が亭主であった場合のみ釜を控えてもらい、客は点前座に進み炉を拝見するものであったらしい。

ただし、隅炉の場合は炭斗が邪魔で炉の中が見えないので、亭主が功者でなくても釜を控えた後に亭主に勝手へ退いてもらい、一人ずつ拝見するという。

また、拝見に時間が掛かってしまうと、亭主は構わず釜を懸けてしまうので注意が必要であるという。

客に最良な湯相で濃茶を練る為に亭主は心して炭を置いているのに、その客が踏みにじる事があってはならないという教えであろう。

今日の茶の湯では懐石に時間が掛かり過ぎて、座を暖めるだけの炭に成り果ててしまっているのは残念でならない。

中には懐石をメインと錯覚しそれに満足し、主菓子と共に濃茶が食後の楽しみの様な扱いになっている茶事もあるという。これでは本末転倒である。

また、道具の拝見については以下に記載があるので掲載する。

一、炭斗、火箸、灰、土鍋(ほうろく)、羽箒等迄、気を付けて見るべし。身度き物あらば、挨拶をいたし置きて、後の炭の時に所望すべし。

現在の作法では、初炭の際に上記道具(灰、土鍋を除く)を拝見するが、見たい物があれば所望の挨拶をしておいてから後炭にてゆっくり拝見するという。

よくよく考えると合理的な作法である。なんと云うか、濃茶の為に一心不乱に茶事が進んで行くような感覚にさえなる。

懐石はあくまでも脇のものであって濃茶を頂く為には当然、懐石にも時間的な制約があるものであるという事を感じる。

また、現在の茶事では懐石の辻褄を合わせるように後炭を省略して続き薄で茶事をする事が多いように思う。

後炭の意味が薄れてしまっているが、薄茶の為の炭をするとともに道具の拝見をするという意味を持たせれば、薄茶でゆるりと亭主の点前を拝見するのとともに後炭の必要性も自ずと出てくるであろう。

とにかく濃茶を最高の湯相で味わう為には、主客が互いにそれに向けて努力しなくてはならいという事あろう。

茶の湯は単なる遊びではなく、勿論、社交の場でもない。宗旦居士の狂歌が頭から離れない。

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