一、炉の時、膳前に炭をするは、寒気の時分、座中も暖かなり、又、湯をも能く沸くる為なり。亭主、釜をあげ、其の所に置き、火箸を取り下火を直す時に、一同に寄りて、下火の残る炉中の灰等を見るべし。尤も、正客より次へ、御下火見るべし、御挨拶ありて見るべし。向切、隅炉などにて、一同に拝見時は、順々に一人か二人ずつ寄りて見る。客、遅参にて、下火流れつよくば、其の断りも云うべきなり。扨て、本の座へくつろぎ、炭一つ置くを、正客寄りて見る。次の客も順々に寄りて見るべし。亭主、炭を置き仕廻う迄、一同に寄りて炉中を見詰めて居るは悪しし。主、炭置きにくし。初心の亭主は、猶更なり。
当流では下火を直す時に炭の流れた景色を拝見する。他流では客の到来時期を見計らって下火を綺麗なものに改めるので、当流のように本当に流れた景色を見せると驚いた顔をされるので面白い。
上記文言では「一同に寄りて、下火の残る炉中の灰等を見るべし。」とあるので、客は一斉に寄って炭の朽ちた状態とともに白灰(じょう)をも観賞している事がわかる。
また、一斉に見る際には「正客より次へ、御下火見るべし、御挨拶ありて見るべし。」と正客は次客以降に挨拶してから拝見するという。
そして一度、元の座に戻ってから、亭主が炭を置くのを客が一人ずつ出て拝見するという。他流では、炭を置き終わるまで客全員で見詰めるので、亭主は置き難いだろうと思っていたが、276年前に書かれた陸安集ではすでにそれを指摘している。
「常に湯を沸し置くこと」に由来する下火の扱いや、炭点前での所作に至るまで、自然なところが当流の良さであり、好きなところである。
