第五 座入りして作法の事 便蒙二 四左 その二

一、正客床前へ行き、両手をつき、懸物を見る。それにて、見えざる時は其の後、立ちて見てよし。其の文句高く読む事あるべからず。前に記す意なり。扨て、炉前へ行き、釜、又は、棚の置合を見るべし。堂庫ある座敷にて、むさと、戸を明くべからず。内に飾りあれば、襖を明けかけてあるなり。其の時は戸を明けて、内に飾りを得と見、又、本のごとく立てかけ置くべきなり。次々迄、其の通りなり。二の客、手水遣いてくぐりに手をかけ、つくばい居て、正客、炉前置合を見る内に、次の客床前へ行き、懸物を見るべし。正客炉前、見仕廻いたらば、座の中程に見合わせて着座すべし。左なき時は、次々の客床前へ行き、懸物見物ならざる故なり。正客炉前を立ちて着座を見て、二の客炉前行く。其の時に、三の客入座して、床前に行く。二の客炉前見て、正客の次に座す。其の時、三の客炉前へ行く。其の時、上客、床際へ詰め寄り、同じく従いて、次の客も詰め寄りて、三の客末座に着す。此の如くする時は、座中二人立つ事なし。何人にても、此の心得にてすべし。

座入りの作法は現在においてもほぼ変わりない。床の掛物の文句を高く読むべからずとは、「第三 廬地入の事 便蒙二 三左」にその理由が書かれている。以下に掲載する。

一、廬地に限らず、座敷にても、相客中如何よう心安くとも、耳雑談すべからず。咄すべき事あらば、高く云うべし。さりながら、高者の高笑いは、又、失礼なり。額あるを見て高く読む事悪しし。物識り顔の事、甚だ当流にていましめ嫌う事なり。

その後に、宗旦の「和尚、雪中如何」の逸話が述べられているが、この心得は重要かと思う。席入り後のひそひそ話しはよく見かけられるが、もてなす側には気になるものである。
また、個々の性格によるが正客になった人が、よく物識り顔で高笑いしているのも見受けられる。茶慣れた人が正客になる場合が多いが、我もの顔でその場の雰囲気を壊している事に気付かず、和敬静寂、一期一会の大切な会であるという基本を忘れている気がしてならない。正直、不快である。

これを読まれている方の中には同じように不快に思われている方も居られると思うが、すでに宗旦居士はそれを諌められている。「当流にていましめ嫌う事なり。」せめて当流だけは、その事を忘れないでほしいものである。

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