一、夜咄しに、廻り炭と云う事あり。是は、座中しみたる時、火ながれて直す時分に、主客の挨拶次第なり。客の内、一人出て炭を致し、扨て、湯沸りたる時に、是も、主客の内にて、薄茶を点つるなり。其の火ながれて、又、一人出でてする事なり。幾度も此の如し。是を、廻り炭というなり。然るに、当代の廻り炭の仕様は、下火をすきと取り、一人炭を致し、それを揚げ、炭を取りかえて、又、一人致すなり。心得ず。畢竟、火ながれて炭をつぐ時、幸に銘々の作前を見物するなり。初めに、置きたる炭の流れをも見物し、又、其の時置きたる炭の火うつりをも、賞玩するなり。炭、数度に及び、下つかえたらば、下取りほうろく出だして、下を取るべし。其の後、火を脇へ除き置き、灰ばかり取るべし。炉、風炉共に取り様は、替わる事なし。下取り土鍋に形あり。下取杓子、炉、風炉の差別、尤も形あり。持つ所、竹のかわにて包み、青麻糸にて巻くなり。
夜咄に、火が流れて炭をする際に客が一人出て炭をつぐ事がある。火がおきたら客の内一人が薄茶を点て、また火が流れたら次の客がまた炭をするのを繰り返すのを廻り炭という。
現在の廻り炭は下火を揚げ、炭を置いたら、すぐに次の客が炭をするのを繰り返すもので、いつの間にか他流の作法と混同されてしまっている事がわかる。
旧来の廻り炭の良い所は、自然に委せて炭の流れる景色、火の移り様を観賞出来る事であろう。
またこの時、客は亭主の服紗を借りるようである。
岡村宗恕は以下の様に述べている。
「恕曰く、利休流徧老迄も、服紗常に懐中すること聞かず。当世の末流、服紗懐中せざれば、雅無くて心得ずなんと云う。常に懐中する時は、何用にするや予知らず。茶家者流のかざりならんや」と。
手厳しい意見であるが、これは客法、第二十一 諸道具見物の事に書かれているもので、利休流は客の際、服紗を懐中せず亭主の服紗を借りるものであるという。
宗恕の話ではあるが、これは流祖以来の確固たる口伝の部分かと思う。
しかしながら、このような細かな点においてすら流祖は宗旦から教えを受けていた事を推察すると、たった七年で皆伝にまで至った修業の奥深さを思い知らされる。
