第十七 置合の事 便蒙一 十九右より二十左まで

一、座敷掃除済み、道具の置合も済みて、客座入の案内に潜りの戸三つふせ程、明け懸るというは、是古代の法なり。当時は同輩にても戸を明け、下へおりて挨拶あるべし。当世は主客の挨拶も殷懃を専らとする事なれば、古法なりとて、故もなく守る時は却って失礼なり。ようよく惣じて考うべし。古代と当代の書翰・文言、又は殿様の認めようにても知るべし。貴人の時は猶更、腰掛の遠近構わず御迎に出ずるべし。鳴物は同輩の事なり。くぐりの戸を明けず、鉦を打つ事、古田織部より始まる。古織、伏見住居の時、数寄屋より腰懸まで程遠き故、座敷の仕廻し、客へ知れざるに付きて案内の為に鉦をうたれたれば、利翁、是も面白しと言われしより用い来るなり。鑵鐘は、利翁より用いたるなり。此の二品の外用いず。擔下、数寄屋近き腰懸に鉦を打つ事、此の故に心得ざる事なり。

現在、後入りの作法もいつの間にか鳴物を打つ事のみになっている事が分かる。当時、当世とは陸安集が著された江戸中期を指し、これには古法に囚われずに江戸の身分制度の厳しい時代に適応した茶の湯が表現されている。
また、鳴物は同輩の事と書かれているが、上記文言では鳴物は明らかに省略の意味で、古織は腰掛が遠いが故に鉦を合図とした。利休もその作意を誉めたが、現在は腰掛の遠近を問わず鉦を打ち、更には師を迎える場合でも鳴物を用いている事が多く、故実を無視したものと言わざるを得ない。
大寄せの茶会が主流の現代では、茶の湯本来の生気を取り戻すのは難しいと思う。茶道人口が少なくなりつつある今「温故知新」を実践する良い機会だと思う。一度故実に戻り、そして現代に適応した茶の湯を模索していく事。それが伝統を継承していくという事ではないだろうか。

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