炭斗と火箸
一、夏は打延を用い、唐金さはり。紹鴎所持はさはりにて、龍頭羊頭なり。名物火箸は、長板、臺子には柄杓立に建てる。取扱い建てよう、其の所の図に記すなり。鉄打延、利休好みの形有り。惣じて打延を冬遣わざる事は、つめたき故に老人、朝など持ちがたし。故に、冬、桑柄を用う。桑柄、四角に面を取り削る。八角にする。後先ほそくなる。いずれ寸法「具図絵」に出る。桑柄、大中小有り。炭取、大に大を用い、中小右に准ずといえども、小はあまり短かく、まずは用いがたし。
鉄火箸利休好み、瓦釘の頭を折返したるものなり。
茶入と茶碗
一、釜と水指、炭斗の取合に同じ。さりながら、ならべ出だす物なり。別して、取合悪敷は、目立つものなり。然りといえども、至極大ぶりの茶入に、小さき茶碗、至って小さき背もひきく茶入に、大きくひらき立ちあがりたる茶碗、取合するも見がたきものなり。能々、考え合わすべし。薄茶入に形、大小色々あり。右に記す棗は、大中小なり。是を末流に、薄茶入に用う悪しし。
前述の陰陽の心得と言えども、やはり程度があるという事であろう。全ての作前について、万事よく物事を考え、過不及なきようにする事が肝要であるとも書かれている。
ただ、棗を薄茶に使わないとは正直驚きである。「右に記す棗」とは利休形を指すものか、図がないのでなんとも云えないが、この伝統がいつから始まったものなのか知りたいところである。
棗の時代考証をすると紹鴎好みとされるものや、無名の塗師が作った町棗や羽田五郎の通称五郎棗など利休以前のものはいくつもあり、それらが当時濃茶に限定して用いられていたとは考えにくい。
侘び茶を基本とする当流で、棗を濃茶のみに用いると定めていたいうのは大変興味深い。
