第三 不時の茶の湯の事 便蒙四

一、客尋ねて参り候時は、まず御尋ね過分、忝の由申し出て、客を中くぐりの外に、またせ置くなりという事。是、初めに書きたる如く、古代待合という所、これ無き事なり。当代待合を、用意する事なれば、幸いの事なり。其の所へ、通し置き、盧地に水を打ちて、よき時候ならば、客の通り道筋ばかりに、水を打つべし。広き盧地などにて、残らず打つ時は、客待ち久しかるべし。万事、手間取らざるように心がけべし。石鉢の水を加え、中くぐりへ迎えに出て、申し入るべきなり。客の位により、迎えに出ずる所、前書に記し置く。

不時の茶の湯の席入りまでの要点を書いたものであるが、尤もな事ばかりで普通はこの様に考えると思う。茶の湯を学んでいると型ばかりに囚われ、心が利かなくなる事がある。茶事をしていると主客が迎えに出る時、意味無く無言で挨拶したり、茶室と待合が目と鼻の先にあるのにわざわざ銅鑼を鳴らしたり、故実を無視した遊びの感覚が多いのに気付く。
普段、湯を沸かしているのであれば、客が尋ねて来ればそこで挨拶して待合へ通し置くので改まって無言で挨拶する必要はない。銅鑼を鳴らす時間があるのであれば客を迎えに出ればよいと思う。(勿論、茶室と待合の距離にも因る)
陸安集には陸沈斎(岡村宗恕)が「存世の茶の湯、落雁の菓子のごとし」と型ばかりの茶の湯が横行している事を嘆いている。276年前の当時から何も変わっていないのだから仕方がないのかもしれない。

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